東京高等裁判所 平成9年(行ケ)101号 判決 1998年1月29日
東京都港区新橋1丁目16番4号
原告
エスエムシー株式会社
代表者代表取締役
高田芳行
訴訟代理人弁理士
千葉剛宏
同
佐藤辰彦
東京都千代田区霞が関3丁目4番3号
被告
特許庁長官
荒井寿光
指定代理人
前川幸彦
同
吉野日出夫
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第1 当事者が求めた裁判
1 原告
(1)特許庁が平成6年審判第13122号事件について平成9年3月19日にした審決を取り消す。
(2)訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
主文と同旨
第2 請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
原告は、意匠に係る物品を「流体圧シリンダー」とする別紙第一図面記載の意匠(以下「本願意匠」という。)について、平成4年5月19日意匠登録出願(平成4年意匠登録願第14493号)をしたところ、平成6年6月22日拒絶査定を受けたため、同年8月3日審判を請求した。特許庁は、上記請求を同年審判第13122号事件として審理した結果、平成9年3月19日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年4月7日原告に送達された。
2 審決の理由の要点
(1)本願意匠に係る物品及び形態は前項記載のとおりである。
(2)これに対して、平成元年9月6日に出願され、その後拒絶の査定が確定した平成元年意匠登録願第32723号意匠(以下「引用意匠」という。)は、意匠に係る物品は「シリンダ」であり、その形態は別紙第二図面記載のとおりである。
(3)本願意匠と引用意匠を比較するに、両意匠は、意匠に係る物品が共に制御用のシリンダーに係るものであり同種の物品と認められ、その形態については、次のとおりの共通点と差異点が認められる。
すなわち、両意匠は、全体の基本形状を略立方体状とし、ピストンロッドが突出する方を正面側(以下、この側を単に「正面側」という。)とした場合、その正面形状を略正方形状とし、平面、底面、及び左右側面図で構成される周側面は、その各稜線部を各々面取り状に形成し、周側面のうち配管ポートのある平面側を除いた3つの面の各中央部に正面側から背面側にかけて1本の凹状溝を設け、ピストンロッドは、正面から僅かに突出する短略円柱状として正面中央部に設け、シリンダー正面のピストンロッドの回りを大きな円形の浅い凹陥面(引用意匠については、願書添付図面には各部の凹凸形状を明確にする斜視図や断面図等がないため、正面側の形状を明確に特定することができないものであるが、この種タイプのシリンダーにおいては、ピストンロッドの回りを大きな円形の浅い凹陥面に形成することが一般的なものであるから、引用意匠についてもそのような態様のものと推認する。)とし、正面の4隅寄りに取付用の円穴を形成し、平面側に小さな円形状の配管ポートを2個設けた態様において共通するものであり、他方、<1>凹状溝の断面形状について、本願意匠は、凹状溝の底部を表面の溝幅よりやや径の大きい円形状に形成しているのに対して、引用意匠は、凹状溝の底部を表面の溝幅よりやや広い矩形状に形成している点、<2>凹状溝の表面の溝幅及び底部寄りの溝幅について、前者の幅は、本願意匠が全体幅の略8分の1であるのに対して、引用意匠は略6分の1であり、後者の幅は、本願意匠が全体幅の略6分の1であるのに対して、引用意匠は略4分の1である点、<3>シリンダーの全体形状について、本願意匠は、引用意匠と比較してやや奥行きが長い点に差異が認められる。
(4)そこで、両意匠の共通点と差異点を総合し意匠全体として考察すると、この種物品においては、シリンダー全体の形状及び正面側の態様が、意匠全体のまとまりを形成し看者の注意を惹くところと認められ、類否判断を左右するところである。この態様において両意匠は、全体の基本形状を略立方体状としたものであって、ピストンロッドが突出する正面形状を略正方形状とし、平面、底面、及び左右側面図で構成される周側面は、その各稜線部を各々面取り状に形成し、周側面の中央部に正面側から背面側にかけて1本の凹状溝を設け、ピストンロッドは、正面から僅かに突出する短略円柱状として正面中央部に設け、シリンダー正面のピストンロッドの回りを大きな円形の浅い凹陥面とし、正面の4隅寄りに取付用の円穴を形成し、平面側に小さな円形状の流体配管ポートを2個設けた態様は、両意匠の形態上の特徴を表出したところであって、類否判断を左右する態様に係るものと認められる。
これに対して、
<1> 凹状溝の断面形状における差異は、この凹状溝は、オートスイッチを取り付けるためのものであり、この断面形状については本出願前にいくつかの異なった態様の存在が認められることから、創作に当たってこの断面形状の態様に関心を持つところと想定されるが、両意匠とも凹状溝の底部を表面の溝幅より大きい空間に形成していることにより、オートスイッチが容易に抜け出ないような構造になっている態様が共通し、さらに溝の底部の大きさも前記した比率の違い程度ではそれほどの差異と認められないから、凹状溝の断面形状における両意匠の差異は、この断面形状のみを注視すればともかく、この凹状溝を意匠全体としてみると、両意匠とも周側面に底部を表面の溝幅より大きな空間に形成した1本の凹状溝を設けた態様に埋没するものといわざるを得ない。
<2> 凹状溝表面の溝幅の差異及び底部の溝幅については、前記のとおり全体幅に対して本願意匠は前者の溝幅は引用意匠の4分の3程度、後者の溝幅は3分の2程度と狭いものの、これを全体としてみると視覚的には周側面の中央に凹状溝を1本ずつ設けた両意匠の共通した態様に吸収される程度の軽微な差異にすぎず、類否判断に影響を与えるものと認められない。
<3> シリンダーの全体形状の差異について、この種物品においては、シリンダーの全体形状も、正面側を略正方形状としその奥行きの長さをストローク範囲の長短により、長さを変えることは一般的に行われていることであり、本願意匠の奥行きも引用意匠と比較してやや長い程度にすぎず、この程度の比率の差異が視覚的に与える影響は微弱なものであり、類否判断を左右するほどのものとは認められない。
<4> さらに、原告は背面側の態様について、本願意匠は平坦面であるのに対して、引用意匠には略円形状の凹部が形成されている点に差異がある旨主張するので、この点について検討するに、引用意匠の背面側には大きな同心円状の線が描かれているものの、引用意匠の図面には各部の凹凸形状を明確にする斜視図や断面図等がないため、背面側の形状を明確に特定することができないものであるから、この背面側に略円形状の凹部が形成されている旨の原告の主張が正当であるか否かは不明である。しかしながら、原告の主張が正当なものであるとして両意匠の差異を検討しても、引用意匠の略円形状の凹部の深さも浅いものと推認され、しかも両意匠の様な形態の製品カタログにおいては、一般的にはピストンロッド側から撮影した写真が掲載され、背面側が現れていないことから、両意匠のような形態の物品では背面側は、他の部位と比較して看者の注意を惹かないものとするのが相当であることを勘案すると、この背面側の態様に原告が主張する差異があるとしても、類否判断を左右するものではない。
(5)そうして、これらの差異点を総合しその相まった効果を勘案しても、両意匠の共通した態様を凌駕するものとは認められず、本願意匠は、引用意匠と意匠に係る物品が同種であり、形態についても前述したとおり類似しているものであるから、意匠全体として類似するものと言うほかない。
したがって、本願意匠は、最先の意匠登録出願人に係る意匠に該当しないものであるから、意匠法9条1項の規定により、意匠登録を受けることができない。
3 審決の取消事由
審決の理由の要点(1)、(2)は認める。同(3)のうち、両意匠は、意匠に係る物品が共に制御用のシリンダーに係るものであり、同種の物品と認められること及び本願意匠と引用意匠が「全体の基本形状を略立方体状」として、「平面、底面、及び左右側面図で構成される周側面は、その各稜線部を各々面取り状に形成する」態様において共通することは争い、その余は認める。同(4)、(5)は争う。
審決は、本願意匠と引用意匠の差異点を看過し、意匠の要部の認定を誤り、差異点に対する判断を誤り、その結果本願意匠と引用意匠の類否判断を誤ったものであって、違法であるから、取り消されるべきである。
(1)差異点の看過について
本願意匠の平面、底面及び左右側面図で構成される周側面の各稜線部に形成された面取り部は、正面図及び背面図の方向から見ると、僅かに湾曲した曲線状に形成されているのに対し、引用意匠の面取り部は、正面及び背面(別紙第二図面の左右側面図)の方向から見ると、直線状に形成されている点で相違しており、審決は、この差異点を看過している。
(2)シリンダーの全体形状の差異について
本願意匠に係るシリンダーの基本形状は、略直方体状であり、立方体状ではない。
この点に関し、審決は、本願意匠と引用意匠のシリンダーの全体形状の差異について、「この程度の差異が視覚的に与える影響は微弱なものであり、類否判断を左右するほどのものとは認められない」とした。しかし、シリンダーの購買者は、種々の要因によってシリンダーの形状を選択するものであり、例えば、他の流体圧機器にシリンダーを組み込んで流体圧回路を構成する場合、組み付けスペースとの関係でシリンダーの全体形状に注意が惹かれるものである。
したがって、本願意匠と引用意匠の全体形状の差異は、意匠の類否判断に大きな影響を及ぼすと解すべきである。
(3)意匠の要部の認定の誤りについて
審決は、本願意匠及び引用意匠に係る物品については、シリンダー全体の形状及びピストンが突出する正面側の態様に意匠の要部があると認定した。
しかし、シリンダーの購買者は、実際上、シリンダーの現品又はサンプル等を自分の手にとった後、該シリンダーの全体形状に係るデザイン、性能等を考慮した上で購入するか否かを決定しているのが通常である。また、本願意匠に係るシリンダーは、比較的小型かつ軽量であるため、購買者がその物品を実際に手にとって直接かつ子細に観察することが可能であり、シリンダーの正面、背面、平面、左右両側面並びに底面を含むその全体形状を間近に見ることができる。したがって、本願意匠及び引用意匠に係る物品については、意匠の要部は、シリンダーの全体形状にあると解すべきであるから、審決の認定は誤りである。
(4)凹状溝の差異について
ア 審決は、シリンダー本体の3側面に形成された凹状溝について、「オートスイッチを取り付けるためのものであり・・・、(本願意匠、引用意匠の)両意匠とも凹状溝の底部を表面の溝幅より大きい空間に形成していることにより、オートスイッチが容易に抜け出ないような構造になっている態様が共通」と認定した。しかし、オートスイッチは、通常はシリンダーと別売されているものであり、購買者がシリンダーを購入する際にはオートスイッチが装着されていない状態で商品を受領するのが一般的である。また、一般的に、オートスイッチは1本あるいは2本装着すれば十分であり、3本の凹状溝全てに装着する必要は全くなく、凹状溝にオートスイッチを装着しないでシリンダーを使用することも可能である。したがって、凹状溝には必然的にオートスイッチが装着されるものであるとの認定は妥当ではなく、本願意匠では、3本の凹状溝はむしろ装飾的な意匠として存在するのである。
また、審決の上記認定は、オートスイッチの抜け止め防止という凹状溝の機能面にのみ着目したものであり、偏った認識に基づく判断である。意匠の類否判断は、機能面からではなく、凹状溝から受ける美的印象に基づいてされるべきである。
イ シリンダーの機能は、ピストンを往復動作させることによりピストンロッドを介して直線運動を他の物体に伝達することにあり、その機能に基づいてシリンダーの形状は限定されるため、意匠的な創作性を付与できる部分が他の物品と比して制限されている。
このようなシリンダーに特有の事情と、ピストンロッドが進退動作をする態様を併せ考えると、正面側から見た本願意匠と引用意匠の凹状溝の断面形状の差異は、看者並びに一般購買者の注意を惹くものである。
審決は、凹状溝の断面形状並びに表面及び底部の溝幅の差異について、「全体としてみると視覚的には周側面の中央に凹状溝を1本ずつ設けた両意匠の共通した態様に吸収される程度の軽微な差異にすぎず、類否判断に影響を与えるものと認められない」「全体としてみると視覚的には周側面の中央に凹状溝を一本ずつ設けた両意匠の共通した態様に吸収される程度の軽微な差異にすぎず、類否判断に影響を与えるものと認められない」としたが、これは、凹状溝をシリンダーの周側面の方向から見た認定である。しかし、凹状溝の上記差異は、ピストンロッドが進退動作をする正面側から対比すべきであり、その場合は、上記差異は意匠の類否判断に影響を及ぼすものである。また、上記認定は、意匠の要部について、「シリンダー全体の形状及び正面側の態様」にあるとする審決の認定とも矛盾している。
ウ したがって、凹状溝の断面形状並びに表面及び底部の溝幅の差異は、意匠の類否判断に影響を及ぼすものと解すべきである。
(5)背面側の態様の差異について
本願意匠と引用意匠の背面側の態様の差異に関し、審決は、「製品カタログにおいては、一般的にはピストンロッド側から撮影した写真が掲載され、背面側が現れていないことから、両意匠のような形態の物品では背面側は、他の部位と比較して看者の注意を惹かないものとするのが相当であることを勘案すると、この背面側の態様に原告が主張する差異があるとしても、類否判断を左右するものではない」と判断した。しかし、製品カタログのみに基づいてシリンダーを購入する購買者はごく稀である。シリンダーの購買者は、シリンダーの現品又はサンプル等を入手し、シリンダーの全体形状、性能等を考慮した上で、シリンダーを選択するのが通常である。したがって、本願意匠に係る物品のような比較的小型のシリンダーでは、背面側も十分に意匠の要部となるから、シリンダーの背面側の態様の差異を看過する審決の認定は誤りである。
また、審決は、意匠の要部について、「シリンダー全体の形状及び正面側の態様」にあるとするが、それならば、シリンダーの背面側の態様の差異は、当然、意匠の類否判断に影響を及ぼすと解すべきである。
(6)本願意匠は、ピストンロッドが突出する正面側の態様が、四隅角部に緩やかに湾曲して形成された面取り部と、四隅角部に穿孔された断面円形状の4つの取付用穴部と、隣接する取付用穴部の間に形成される断面円弧状の凹状溝によって、ほぼ丸形状を基調として統一され、一般需要者をして統一のとれた美感を感得させる。
これに対して、引用意匠は、四隅角部に穿孔された断面円形状の4つの取付用穴部を有し、隣接する取付用穴部の間には断面矩形状の凹状溝が配設され、正面側から見ると面取り部が直線状に形成されているため、丸形状、角形状、直線状と統一がとれておらず、バランスを欠いている。
したがって、本願意匠と引用意匠は、異なる美的印象を与えるものである。
第3 請求の原因に対する認否及び被告の主張
1 請求の原因1(特許庁における手続の経緯)及び同2(審決の理由の要点)の事実は認める。同3(審決の取消事由)は争う。審決の認定判断は正当であり、審決に原告主張の違法はない。
2 被告の主張
(1)差異点の看過について
審決が、本願意匠と引用意匠の形態における差異として面取り部の態様について触れなかったのは、本願意匠の面取り部の面は、添付図面の同部に定規を当ててみなければ視認することができないほどの極めて僅かな曲面であり、両意匠の類否判断において取り上げるに足りないものだからである。
(2)シリンダーの全体形状の差異について
原告は、本願意匠に係るシリンダーの基本形状は、略直方体状であり、立方体状ではないと主張する。確かに、高さ(正面側から見た高さ:幅と同じ)と奥行(ピストンロッドの進退方向)の比率を厳密にみれば、本願意匠のそれは1:1.3であり、引用意匠のそれは1:0.9であるから、幾何学的にいえば両意匠とも直方体状というのが正しい。しかし、意匠の類否判断を前提とした基本形状の認定においては、意匠の骨格を大づかみにすることが目的であるから、むしろ、上記比率の小数点以下を四捨五入すればいずれも1:1となることに鑑み、略立方体状とすることが妥当である。
また、原告は、シリンダーの購買者は、種々の要因によってシリンダーの形状を選択するものであるから、全体形状に注意が惹かれるものであり、シリンダーの意匠における全体形状の差異は、意匠の類否判断に大きな影響を及ぼすと主張する。しかし、この種物品の製造、販売時において、一種の形式の意匠に、ピストンロッドのストローク範囲の長短により奥行の長さをいろいろ変化させたものを一連の意匠として用意することが当業界の慣用手段であるから、全体形状における奥行の長さの変化は、同一創作思想内における類型的変化にすぎないとみるべきである。したがって、意匠的に見た場合、この程度の差異はこの種物品において注目されるところではなく、視覚的に与える影響は微弱なものであって、類否判断を左右するほどのものではない。
(3)意匠の要部の認定について
審決が、本願意匠及び引用意匠に係る物品について、シリンダー全体の形状及びピストンが突出する正面側の態様に意匠の要部があると認定した趣旨は、両意匠の要部がシリンダー全体の形状にあることは当然として、その全体の中で各部を比較すれば、正面側の態様の比重が他の各部よりとりわけ高いということである。そして、当業界において正面側が重視されていることは、製品カタログ(乙第1、第2号証)から明白であり、また、シリンダーを他の機器に組み込んで使用する際の、他の連結部材と連結するピストンロッドが進退動作をする側である正面側の比重を高く考えることは極めて自然である。したがって、審決に誤りはない。
(4)凹状溝の差異について
ア 原告は、上記凹状溝について、審決が、「オートスイッチを取り付けるためのものであり・・・、(本願意匠、引用意匠の)両意匠とも凹状溝の底部を表面の溝幅より大きい空間に形成していることにより、オートスイッチが容易に抜け出ないような構造になっている態様が共通」と認定した点を非難する。しかし、審決は、上記凹状溝について、「必然的に」オートスイッチを取り付けると認定しているのではなく、両意匠の凹状溝の断面形状の差異について類否判断を前提として比較検討するに当たり、凹状溝の用途(機能)を述べたものである。
意匠とは「物品の形態」であるから、その形態には、意匠全体においても各部においても、必ずその物品の使用目的を果たすための何らかの「機能上の意味」が存在する。そして、意匠の類否判断においては、最終的な美感の異同の判断を前提としつつ、両意匠の共通点、差異点に係る形態について検討するに当たって、その形態の機能上の意味を認識した上で共通点、差異点を評価し、類否を決するという態度が自然であり、一般的である。審決は、上記の類否判断の態度に基づき認定判断したのであって、誤りはない。
イ 原告は、凹状溝の断面形状並びに表面及び底部の溝幅の差異について、ピストンロッドが進退動作をする正面側から見るべきであると主張する。しかし、両意匠の各部における共通点、差異点に係る類否判断上の評価は、ある一方向のみからの観察による評価ではなく、最終的に意匠全体に戻って観察し評価すべきである。本願意匠及び引用意匠の把握について、原告は、両意匠の対応する各部を平面的にのみ把握する態度が強いが、審決は、対応する各部を比較した上で、意匠全体に戻って立体的に(斜視図的に)把握しているのである。
また、原告は、審決が、凹状溝の差異について、「全体としてみると視覚的には周側面の中央に凹状溝を1本ずつ設けた両意匠の共通した態様に吸収される程度の軽微な差異にすぎず、類否判断に影響を与えるものと認められない」とした認定が、シリンダーの周側面から見た認定であり、意匠の要部について、「シリンダー全体の形状及び正面側の態様」にあるとする審決の認定とも矛盾していると主張する。しかし、審決は、凹状溝の表面の溝幅及び底部の溝幅の両方に着目して比較検討を行っており、周側面から見たのであれば底部の溝幅について述べるはずはないから、正面側の凹状溝の態様を十分意識して判断しているものである。したがって、審決に原告主張のような矛盾はない。
(5)背面側の態様の差異について
原告は、審決がシリンダーの背面側の態様の差異を看過していると主張する。しかし、審決は、背面側の態様の差異を看過しているものではなく、これについても、可能な範囲で推認も含めて検討した上で、本願意匠及び引用意匠のような形態の物品では、背面側は他の部位と比較して看者の注意を惹かないものとするのが相当であると判断し、類否判断を左右するものではないと判断しているのである。したがって、原告の主張は失当であり、審決の判断に誤りはない。
(6)原告は、本願意匠はほぼ丸形状を基調として統一されているのに対し、引用意匠は丸形状、角形状、直線状と統一がとれておらずバランスを欠いているから、両意匠は異なる美的印象を与えると主張する。審決は、原告主張のような美的印象については直接認定判断していないが、それは、原告主張のような主観的な美的印象の認定判断に頼るのではなく、本願意匠と引用意匠の意匠の形態を客観的に認定し、共通点、差異点の軽重を評価して類否判断を行えば、両意匠の類否を決するに十分だからである。また、美感の異同については、意匠とは「物品の形態であって美感を起こさせるもの」であり、美感とは形態秩序に関わるものであるから、形態(秩序)を認定判断することが、すなわち間接的に美感の異同の判断を行っていることになるのである。
第4 証拠
証拠関係は、本件記録中の書証目録のとおりであるから、これを引用する。
理由
第1 請求の原因1(特許庁における手続の経緯)及び同2(審決の理由の要点)の事実は当事者間に争いがない。
また、本願意匠及び引用意匠の形態がそれぞれ別紙第一図面及び第二図面に記載のとおりであること、並びに審決の理由の要点(3)記載の両意匠の共通点及び差異点のうち、本願意匠と引用意匠が「全体の基本形状を略立方体状」として、「平面、底面、及び左右側面図で構成される周側面は、その各稜線部を各々面取り状に形成する」態様において共通することを除くその余の点は当事者間に争いがない。そして、弁論の全趣旨によれば、本願意匠と引用意匠は、意匠に係る物品が共に制御用のシリンダーであって、同種の物品であることが認められる。
第2 審決の取消事由について判断する。
1 差異点の看過について
原告は、本願意匠の平面、底面及び左右側面図で構成される周側面の各稜線部に形成された面取り部は、正面図及び背面図の方向から見ると、僅かに湾曲した曲線状に形成されていると主張する。しかしながら、上記面取り部の面の湾曲は、定規を当ててみなければ視認することができないほどの極めて僅かな曲面であることは、別紙第一図面から明らかである。したがって、上記面取り部の湾曲があるとしても、そのことは直ちに本願意匠と引用意匠の意匠の類比の判断に影響を与えるものではなく、審決がこの点を差異点として取り上げなかったからといって、類比判断に必要な差異点を看過したとはいえない。
2 シリンダーの全体形状の差異について
審決が、本願意匠と引用意匠は、全体の基本形状を略立方体状とする点において共通すると認定した点について、原告は、本願意匠は略直方体状であると主張する。そして、別紙第一及び第二図面によって、高さ(正面側から見た高さ:幅と同じ)と奥行(ピストンロッドの進退方向)の比率を厳密にみれば、本願意匠のそれは略1:1.3であり、引用意匠のそれは略1:0.9であることが認められるが、これを略立方体状と呼ぶか否かはさておき、審決は、シリンダーの全体形状について、本願意匠は引用意匠と比較してやや奥行が長い点を両意匠の差異として認定しているのであるから、原告の上記主張については、上記差異が両意匠の美感に及ぼす影響について検討することで足りるものというべきである。
そこで、上記差異が両意匠の美感に及ぼす影響について検討する。成立に争いのない乙第1(「薄型シリンダCQSシリーズ」平成5年5月原告発行)、第3号証(「NEW PRODUCTS GUIDE」平成元年9月シーケーディ株式会社発行)によれば、両意匠に係る物品であるシリンダーは、一種類の形式の意匠について、ピストンロッドのストローク範囲の長短により奥行の長さを様々に変化させたものを一連の意匠とし、同じ型番・機種の商品として製造、販売されていることが認められ(前掲乙第1号証は本出願後に刊行されたものであるが、この種の物品の用途等からみて、本出願当時のシリンダーも同様であったと認められる。)、上記事実によれば、シリンダーにおいて、全体形状における奥行の長さの変化は、同一創作思想内における類型的変化にすぎないと認められる。したがって、本願意匠と引用意匠における程度の奥行の差異は、その意匠に係る物品においては、視覚的に与える影響は微弱なものであって、類否判断を左右するほどのものではないというべきである。
3 意匠の要部の認定について
原告は、本願意匠及び引用意匠に係る物品については、意匠の要部は、シリンダーの全体形状にあると解すべきであると主張するので検討する。
前掲乙第1、第3号証、成立に争いのない乙第2号証(「日刊工業新聞B&T新製品情報」平成2年9月発行)及び弁論の全趣旨によれば、シリンダーの製品カタログは、時には側面から製品を見た写真もあるものの、通常は、製品を正面側斜め方向から製品を見た写真が掲載され、背面から見た写真は掲載されていないこと及びシリンダーの機能はピストンを進退動作させることによりピストンロッドを介して直線運動を他の物体に伝達することにあることが認められる。以上の事実によれば、当業界においてはシリンダーの正面側が重視されていることが認められるから、両意匠に係る物品の意匠の要部はシリンダー全体の形状にあるものの、その全体の中で各部を比較すれば、正面側の態様の比重が他の各部よりとりわけ高いというべきである。したがって、意匠の要部を、「シリンダー全体の形状及び正面側の態様」にあるとした審決の認定判断には誤りはない。
4 凹状溝の差異について
凹状溝の断面形状並びに表面及び底部の溝幅の差異は、<1>本願意匠は、凹状溝の底部を表面の溝幅よりやや径の大きい円形状に形成しているのに対して、引用意匠は、凹状溝の底部を表面の溝幅よりやや広い矩形状に形成している点、及び<2>凹状溝の表面の溝幅及び底部寄りの溝幅について、前者の幅は、本願意匠が全体幅の略8分の1であるのに対して、引用意匠は略6分の1であり、後者の幅は、本願意匠が全体幅の略6分の1であるのに対して、引用意匠は略4分の1であることは当事者間に争いがないところ、原告は、上記凹状溝の断面形状並びに表面及び底部の溝幅の差異について、ピストンロッドが進退動作をする正面側から対比すべきであり、その場合は、上記差異は意匠の類否判断に影響を及ぼすと主張する。
なるほど、シリンダーについては、正面側の態様の比重が他の各部よりとりわけ高いことは前認定のとおりである。しかしながら、シリンダーの意匠の要部が全体の形状及び正面側の態様である以上、上記差異については、正面側からのみ対比すべきではなく、全体の形状も考慮して、全体的に観察する必要がある。
そこで、この点を検討するに、前掲乙第1ないし第3号証及び成立に争いのない甲第2号証(本願書)によれば、上記凹状溝は、オートスイッチを取り付ける機能を有し、本願意匠と引用意匠が凹状溝の底部を表面の溝幅より大きい空間に形成していることは、オートスイッチが容易に抜け出ないような構造であるという点において共通しているものであることが認められる。そして、上記事実に、上記の差異のうち、凹状溝の表面の溝幅以外の差異は正面側のみに現われるものであること等右差異部分が全体に占める割合を考慮すると、上記の差異は、これを意匠全体としてみると、それがもたらす美感の差は僅かなものであって、周側面の中央に凹状溝を1本ずつ設けた両意匠の共通した態様に吸収される程度のものと評価すべきである。
もっとも、原告は、購買者がシリンダーを購入する際には凹状溝にオートスイッチが装着されていない状態で商品を受領するのが一般的であるとか、凹状溝に全てオートスイッチを装着しないでシリンダーを使用することも可能であるなどとして、凹状溝はむしろ装飾的な意匠である旨主張する。しかし、上記凹状溝は、その形態を現前せしめる技術的側面としてオートスイッチを取り付ける機能を有しており、単なる装飾ではない以上、購買者がシリンダーを購入する際には凹状溝にオートスイッチが装着されていない状態で商品を受領するのが一般的であるとか、凹状溝にオートスイッチを装着しないでシリンダーを使用することも可能であるということは、意匠の美感の異同を判断するに当たり、上記機能をも一要素として念頭において評価することの妨げとなるものではないし、このように機能をも念頭において評価したとしても、機能面のみに着目したとか、偏った認識に基づくというものではない。
したがって、原告の右主張は理由がない。
5 背面側の態様の差異について
原告は、本願意匠に係る物品のような比較的小型のシリンダーでは、背面側も意匠の要部となるのに、審決は、背面側の態様の差異を看過していると主張する。
検討するに、成立に争いのない甲4号証の1のCKD株式会社製SSD-12-15の写真によれば、引用意匠の実施品の背面側には略円形状の浅い凹部が形成されていることが推認され、この点で引用意匠と本願意匠は差異があるというべきである。しかしながら、前認定のとおり、シリンダーの製品カタログは、時には側面から製品を見た写真もあるものの、通常は、製品を正面側斜め方向から製品を見た写真が掲載され、背面側から見た写真は掲載されていないことからすれば、シリンダーの背面側は、他の部位と比較して看者の注意を惹くことがごく少ない部分であると認められ、上記事実によれば、両意匠の背面側の上記程度の差異は、意匠の類比判断を左右するものではないというべきである。
なお、この点に関し、原告は、意匠の要部がシリンダー全体の形状及び正面側の態様にあるのなら、背面側の態様の差異は、意匠の類比判断に影響を及ぼすと主張する。しかし、シリンダー全体の形状も意匠の要部であるとしても、その一部の態様の差異が意匠の類比判断に影響を及ぼすか否かは、全体的に観察して判断されるべきであるから、両意匠の背面側の態様に差異があるとしても直ちに両意匠が非類似となるものではない。原告の主張は失当というほかはない。
6 また、原告は、本願意匠は、正面側の態様が、四隅角部に緩やかに湾曲して形成された面取り部と、四隅角部に穿孔された断面円形状の4つの取付用穴部と、隣接する取付用穴部の間に形成される断面円弧状の凹状溝によって、ほぼ丸形状を基調として統一されるのに対し、引用意匠は丸形状、角形状、直線状と統一がとれておらずバランスを欠いているから、両意匠は異なる美的印象を与えると主張する。
しかしながら、本願意匠の面取り部の面の湾曲が、図面に定規を当ててみなければ視認することができないほどの極めて僅かな曲面であることは、前認定のとおりである。そして、前認定のとおり、本願意匠と引用意匠の凹状溝の断面形状の差異が、これを意匠全体としてみると周側面の中央に凹状溝を1本ずつ設けた両意匠の共通した態様に吸収される程度のものと評価すべきである以上、原告主張の差異があるとしても、これをもって、両意匠が異なる美的印象を与えるということはできない。原告の上記主張は理由がない。
7 以上のとおりであるから、両意匠をもって類似するとした審決の判断には原告主張の誤りはないというべきである。
第3 よって、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり判決する。
(口頭弁論終結の日・平成9年12月4日)
(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 持本健司 裁判官 山田知司)
別紙図面第一 本願の意匠
意匠に係る物品 流体圧シリンダー
<省略>
別紙図面第二 引用の意匠
意匠に係る物品シリンダー
説明 左側面図は右側面図と対称につき省略する。
<省略>